「昭和レトロ」はこれからもっと価値を持つ
PROFILE
名前
中村 出/Izuru Nakamura
経歴
株式会社ヤマムラ
山形県新庄市出身。工学院大学の後藤治研究室で歴史的建造物の保存修復を学ぶ。大学院卒業後、株式会社ヤマムラに入社。2019年に東京都台東区下谷旧銭湯快哉湯の活用プロジェクトを推進し、2020年から新庄(山形)と台東区(東京)の二拠点の建物再生をメインに活動。建築ジャーナル2019年の特集「建築の保存、活用の未来」に掲載され、商店建築2021年1月号では快哉湯再生プロジェクトについて寄稿。
PROFILE
名前
髙橋 晴彦 /Haruhiko Takahashi
部署
流通事業部 流通二部 兼 商品企画部
コスモスイニシア歴
11年
経歴
山形県新庄市出身。大学・大学院の建築意匠系研究室で建築デザインを学ぶ。建築専門誌の編集者を経て、2014年に中途入社。賃貸事業部にてサブリース受託・運営業務を経て、2017年から流通事業部にてリノベーションマンション事業に従事。大学研究室との共同研究、デザイナーや企業とのコラボレーションでの商品企画を推進。一級建築士。
コスモスイニシアでは、社内から新しい価値を生み出すことを大切にしています。そんな文化を象徴するのが、5年・10年先の住まいを見据え、リノベーションマンションの新しいアイデアや住まいへのニーズを引き出すことを目的として行われている「Next GOOD Challenge(ネクストグッドチャレンジ・NGC)」という社内コンペ。5人×6チームが参加したコンペで、高橋さんのチームが提案したのは「昭和レトロ」をテーマにした住まいでした。
近年の昭和レトロブームにとどまるだけでなく、古いものを大事にして使い続ける生活というのが、これから求められるのではないかと考えたんです。新しいものだけでなく、時間がつくりだす古いものの魅力を再発見して生活に取り入れた暮らし方があってもいいのではないかと。
アクティブシニアや多様性など、さまざまなアイデアが提案されるなかで、古材の活用という新しい可能性が見えてきました。
チームのみんなと話していくなかで、今の暮らしって新しいものだらけだよねっていう話になったんです。新しいものでしか作っていないところに、何か古いものを使って作れないかと考えました。
その着想は、実務での“気づき”から生まれていました。
今は新しい建材だけで作られることが多いですが、古材特有の味わいや、職人の手間暇をかけた繊細なつくりこみには、現代の建材にはつくれない価値があると感じていました。
企画は採用されましたが、実現への道のりは簡単ではありませんでした。
当初からメンバー内で古材を使いたいという思いはあったのですが、マンションの専有部での使用例はほとんどなくて。かといって、商業施設で使われるような機能がなく装飾的に使うのも違う。どうやって調達するのか、どう活用するのか。建築基準法の制限もあって本当に悩みましたね。
そんななか、1冊の建築雑誌との出会いが、このプロジェクトを大きく動かすことになります。
山形の地で育まれてきた文化
銭湯改修の記事に掲載されていた設計者。その方は高橋さんと同じく山形県・新庄市の出身でした。
設計者として載っていた中村さんが山形県の新庄出身と知って。上司に「年齢も近いし、先輩じゃないの?」と言われて、すぐにSNSで調べてみたんです。
そこから明らかになった縁は、誰も予想していなかったものでした。
小中高同じ学校の1学年違い。僕の母親と高橋さんのお父さんが同級生で、僕のいとこが高橋さんの幼なじみという(笑)共通の知り合いもたくさんいて、むしろ今まで出会っていなかったのが不思議なくらいでした。
2人が育った新庄市は、豪雪地帯ながら豊かな文化を育んできた土地でした。
新庄には通称・雪調(せっちょう)と呼ばれている、雪害を研究する研究所(旧農林省積雪地方農村経済調査所庁舎)があります。考現学で有名な今和次郎先生という方がいて、その方が設計した建物はいまでは国登録文化財になっていて。有名な工業デザイナーである柳宗理さんとともに日本の民藝視察で世界的な建築家のシャルロット・ペリアンさんも訪れていて、椅子などの作品を残されているんですよ。
新庄は今、「歴史まちづくり認定都市」の一つなんです。元々ある歴史的な風景や施設を活かしながら、まちづくりを進めている。2人ともそういう環境で育ったことが、古材への想いにつながっているのかもしれません。
エコロジーガーデンという、蚕を育てていた建物をリノベーションした施設もありますよね。古いものを大切にしながら、新しい価値を生み出していく。そんな文化が根づいているような気がします。
その土地で培われた価値観は、東京での新しいプロジェクトにも確かな影響を与えていました。
垣根を超えた協業の実現
2人の出会いは、古材活用の可能性を大きく広げることになります。
どちらかというと私達は今まで、古い建物自体のリノベーションに力を入れてきたんです。でも都内で壊される建物を見るたびに、このまま廃棄されるのは本当にもったいないと感じていて。現場に入り込んで、古材や建具など救えるものは可能な限り保管していました。古民家への転用も考えていましたが、なかなかサイズが合わなかったり。どこか1カか所でも使える場所はないかと、ちょうど探していた時期でした。
それからすぐにプロジェクトがスタート。古材をマンションで使用する方法を、二人で模索していきます。
古材は基本的に燃えるので、マンションの内装としての使用制限が厳しい。でも建具は規制の対象外だと分かり、そこを突破口にできないかと考えました。
さらに建具職人さんの技術があれば、形を変えたり、強度を上げたりできる。その可能性を一緒に探っていきました。
プロジェクトを進める中で、地域とのつながりも生まれていきました。
台東区の谷中や、墨田区の京島、向島あたりに長屋再生に力を入れている方たちがいて。そこから5枚引き戸を提供していただいたり。会社や立場はそれぞれ違いますが、「古いものを何とかしたい」という想いを持つ人たちとのつながりが自然と広がっている。建具職人さんや、近隣で古材を扱う方々との共同体意識みたいなものが、徐々に芽生えてきているのを実感しています。
古材が結ぶ、これからの住まいづくり
地域での協力関係が育まれていくなかで、デベロッパーと建設会社の関係性も、従来の発注者と施工者という枠を超えて発展していきます。豪雪地帯の新庄で、古い建物の価値を大切にする文化に触れながら育った二人には、時を重ねたものへの敬意と、それを未来に活かしていこうとする共通の想いがありました。
基本的に、デベロッパーと建設会社の関係って垂直的なんですよね。でも今回は本当にフラットな関係で、お互いの経験や想いを素直に出し合えた。その背景には、同じ故郷で培った価値観があったのかもしれません。
建具屋さんとの打ち合わせでも、発注者と施工者という壁を作らずに、みんなでアイデアを出し合えました。前述したように、私たちの故郷には古いものを大切にしながら新しい価値を生み出していく文化が根づいていて。そういう視点が、このプロジェクトでも活きたように思います。
古い箪笥を下駄箱として蘇らせたり、欄間を照明の一部として活用したり。従来の発想を超えたアイデアが、次々と形になっていきました。
昔ながらの箪笥ってどこの古民家でもあるんですけど、引き取り手がなかなかいない。でも、その確かな作りと木の質の良さは現代では真似できないんです。
最初は「下駄箱にできないかな」って、何気なく出たアイデアだったんです。でも職人さんと相談していくうちに、フラップ式の扉に改造したり、強度を上げたり。古いものの価値を活かしながら、新しい機能を持たせることができました。
そして、この取り組みは次世代への価値継承という面も持ち始めています。
実は代田橋の後にもう1物件、ヤマムラさんにお願いした都立大学の研究室とコラボレーションしたマンションがあるんです。そこは今すでにある古材ではなく、未来に古材になるものをつくろうというコンセプトで、建具を無垢の新材でつくってもらいました。ワインにヴィンテージがあるように、建具にもヴィンテージの価値があっていい。30年後、40年後の経年変化を考えて、未来の古材を今からつくっていくような感覚です。
故郷での原体験を、東京での新しいチャレンジへと昇華させていく。二人の挑戦は、古材活用の新たな可能性を示すことになりました。
古材には、時を重ねることでしか生まれない価値がある。それを現代の暮らしに活かしていく。そんな新しいアプローチができたと思います。
今後は、目標のひとつとしてその地域の古材を使って、その土地らしい空間を作っていけたらと考えています。そうすれば失われつつある地域の個性も、また蘇らせることができるかもしれない。今回のプロジェクトで見えてきた可能性を、これからも追求していきたいと思います。